「18:00」2011-05-17 Tue 00:30
|
『黙って耐える子供を見た。』2010-12-04 Sat 00:08
![]() 「忍耐」(H75×W25×D30/陶,水彩着色,電球,木の椅子/2008) この作品には実在のモデルがいる。 私が彼と出会ったのは2008年2月のこと。 某国立大学の大学院入試の帰り、 共に試験を受けた大学の友人Tが観たい展覧会があるというので、 T と私、そしてもう一人の大学の友人 I と3人共だって、 その展覧会が催されているギャラリーへと向かった。 私たちは上野駅から地下鉄に乗り清澄白河駅で下車し、 ギャラリー方面の出口階段へと向かった。 出口階段に差しかかる手前にはトイレがあった。 そのトイレの前には大人のひざの高さほどの縁石があり、 そこに彼が座っていた。 年の頃は3歳ほど、フード付きのコートを身にまといフードを頭にすっぽりとかぶっていた。 フードにはクマの耳と目と鼻が付いていて、彼は熊の威を借りそこに佇んでいるようだった。 彼の横を昼下がりのマダム3人組が通りかかった。 彼女達は声を合わせ、「あら!かわいいわね~!」 と彼に対して大きなリアクションをとりながら通り過ぎる。 彼女らの行動に彼はピクリとも反応しない。 身を屈め、両の拳をギュッとにぎり、空にあるただ一点を焦点も合わさずに見ていた。 彼は意識を自身の中へと集中し、ただひたすらにその状況が過ぎるのを耐えているようだった。 彼はあの時、あの場所で、社会の中にただ一人取り残された状況にあった。 あの時、彼の周りは未知への恐怖で満ち溢れていたことだろう。 しかし、彼にはそれらの恐怖を払拭する術はない。 それでも彼は、泣きもせず、喚きもせず、 ただひたすらに耐え続けていた。 ![]() その後、トイレの中から彼の父親らしき人物が出てきた。 彼はその人物に駆け寄り黙って手を繋いだ‥。 私が彼を目撃したのは、ものの30秒。 その間に一つのドラマを見たようだった。 小さな子供でもああやって不安と戦っている。 自分ももっと辛抱してがんばらないといけない。 そんな思いを残してくれた彼との出会いであった。 その気持ちを忘れないように 本作「忍耐」を制作するに至った訳である。 余談ではあるが、 その後、私たちは 出口階段手前の掲示板に目的の展覧会のポスターを見つけ、 会期が1週間後であることを確認し、 駅から外に出ることも無く、清澄白河駅を後にした。 |
ぼくの原点、草壁好男 (クサカベ ヨシオ)。2010-10-15 Fri 02:42
草壁好男、ご存知ですか?
彼は僕の原点。 妄想の賜物かつ、僕の分身です。 彼は、約9年前、浪人中に僕が初めて制作した人体像であり、 今の制作へと繋がる作品です。 ![]() 「草壁好男」(H250×W150×D50cm/石膏,ミクストメディア/2001) 彼の生い立ちの鍵を握るのは、当時の僕の、ある仮説(妄想)です。 日下部という名字の人がいるけど、 彼らは、古い建物とかにある、ツタの張り巡らされた壁と何か関係があるんじゃないか。 多分、彼らの先祖が、あの壁のことを草壁と呼び、その壁がたいそう好きなその一族に対し、 太閤、秀吉とかが草壁という名字をつけ、それが転じて日下部となったんじゃないか。 そのような仮説(妄想)を僕は立てた。 その仮説(妄想)から、その一族の末裔を作ろうと試みた。 それが、草壁好男である。 草壁好男(本名、日下部好男)はその子孫であり、一族の中でも草壁好みの血が濃く、 内に秘めたその衝動は計り知れない。 しかし、彼はその衝動を決して他人に見せることはしない。 彼の年齢は当時30歳(2001年)、IT関係の会社に勤めている。 彼の最寄り駅の近くには、古いポルノ映画館があり、 その建物の壁は全面的にツタが張り巡らされている。 会社でストレスが溜まると、彼の衝動は押さえきれなくなる。 「嗚呼、草壁に抱かれたい‥。」 そんな時、彼は会社帰りに、真夜中のポルノ映画館へと足を運ぶ。 そして、一目をはばかりながら、全裸になり、草壁に体をうずめるのだ。 好男の至福の時である。 ![]() 制作当時、 至福の時を表現するために、うっとりとした表情を。 また、少し品が欲しくて、僕と皇太子様を足して2で割った顔を目指しました。 今では、ポートフォリオにも載せてない作品ですが、 大事な作品なので、この場で紹介させていただきました。 そして、すべての日下部さん、勝手な妄想をして、申し訳ありませんでした。 |
我が家のアイドル「カンガルー」のご紹介。2010-10-11 Mon 20:42
今日は我が家のアイドル、「カンガルー」のご紹介です。
僕のプロフィールのアイコンとしても活躍中の彼、 実は二人組です。 ![]() 「カンガルー」(H65×W20×D15cm/陶, 水彩着色/2008) 陶土で出来ていて、同じ型から抜いて複製された彼らですが、 乾燥の仕方の違いで、こんなに表情が変わりました。 注目のポーズは、幼少時によくしていたもの。多くの男子が同じポーズをしていたと聞きます。 女子はやらないみたいです。 僕は今でもたまにやります。 以前、金沢のcafe Mojoで展示した際、OZmagazineという全国紙に掲載され、 彼らに会いたくて、わざわざ愛知県から見に来てくれた方がいました。 その時は、すでに展示していなくて、悪いことをしてしまいましたが、 実にありがたいことです! アートグミには彼らのポストカードまで売られています。 今後も彼らの活躍に期待せずにいられません。 |
| ホーム |
|